2017年8月15日火曜日

「終わりの日まで待ち続ける神さま」(マタイによる福音書第13章24節~35節)

マタイによる福音書第1324-35節、2017813日(聖霊降臨際後第10主日礼拝―緑―)、イザヤ書第446-8節、ローマの信徒への手紙第826-30節、讃美唱119/6(詩編第11941-48節)

説教「終わりの日まで待ち続ける神さま」(マタイによる福音書第1324節~35節) 

 今日の福音は、マタイ福音書第1324節から35節までが与えられています。今日の部分は、主イエスが、群衆に語った天の国の譬えといわれている部分です。群衆は、聞いても、主の譬えを理解することができない。それで、主イエスは、聞いても理解することがなく、見ても、分からず、悟ることがないように、譬えでお語りになり、彼らは癒されることがないと預言者イザヤの預言を引用して、そのわけを弟子たちには伝え、弟子たちにはしかし、天の国の奥義が知らされていると、今日の部分の前の第13章以下ところで、尋ねた弟子たちに説明なさっています。
 そして、今日の個所では、毒麦のたとえ話をお語りになり、続いて、からし種のたとえ、さらにパンだねの譬えが続き、そのあとに群衆にはすべて譬えで、主イエスが語られたことと、その意義が記され、このペリコペー、聖書個所を締めくくるみ言葉で終わっています。
 ここで、主は、3つの譬えをいづれも、彼は別の譬えを彼らの前に、こう語りながら、置かれた、あるいは、主は別の譬えを、彼らにしゃべられたと記されています。二つ目、三つ目の譬えでは、天の国は、人がその畑にからしの木の種を植えたのと似ている。あるいは、女の人が、パン種を取って、3サトンのパン生地、小麦粉の練り粉の中に隠し込んだ事情に似ていると言われています。
 いずれも、その始まりは、取るに足らない、見栄えのしないものであります。パン種も、それは40リットルもの練り粉全体を膨らますのであり、その影響力は考えられないほどである。天の国は、そのように最初は小さなものであるが、その結果は、最初からは考えられない大きな働きを結果するのであります。
 そして、からし種から育ったからしの木には、空の鳥、天の鳥がやって来て、その枝に巣を張るほどになり、最も小さい種から、野菜、庭園草本と言われる中で一番大きくなり、木ともなると言われるのであります。確かに、主イエスの預言された通り、一握りの弟子たちと共に始まった教会は今では、世界の隅々にまで広がっています。旧約の世界で、同じように、天の下のあらゆる鳥が、また野の獣がそのもとに住み着くようになると言われたエジプト帝国やバビロン帝国は、今では見る陰もなくなっていますが、主の教会は、主イエスの約束された通りに全世界にまで波及しております。
 そして、マタイ福音書は、そのあとに、要約して、主はこれらのことを群衆には譬えにおいて語られ、譬えによらないでは何一つ語ろうとはされていなかったと記しています。
 そして、これによって、預言者によって言われていたことが満たされたのであると記し、すなわち、「私の口を、譬えどもでもって開こう。私は世界の創設、種まきの時から隠されていたことどもを、知らせようと」との詩編第78そして編1節、2節の預言が実現したと、マタイは確信して記しています。このような方法を取ることは、何も主イエスの独創によるのではなく、世の初めから、神さまのご計画であると、マタイ福音書記者は信じて疑わないのであります。
 そして、順序は逆になりますが、最初の譬え、毒麦のたとえについてご一緒に考えましょう。それも、先に言いましたように、そのままに訳しますと、「彼は別の譬えを、彼らに対して、その前に置かれた、こうお語りになりながら」と始まっています。「彼らに」とは、ずっと見ていきますと、群衆に対してであることが分かりますが、ここではあえて、「彼らに」とマタイは書いています。それはなぜでしょうか。
 さて、主がここでなさった毒麦の譬えは、こういうものでした。ある人が自分の畑に良い麦を蒔いていった。ところが、人々が寝ている間に、彼の敵がやって来て、同じ麦畑に毒麦を蒔いていっていた、そして、その敵は立ち去ったのであります。やがて、麦は芽を出し、実がみのり、その毒麦も現れました。そのとき、その一家の主人の僕たちがやって来て言います。「ご主人様、あなたが蒔いたのは良い麦ではなかったですか。それなのに、この毒麦はどこからやって来たのですか。」主人は答えます。「敵である人間のしわざだ」と。僕たちは言います。「それなら、私たちが行って、毒麦をむしり集めることを、あなたはお望みですか。」しかし、主人は言うのです。「両方とも成長させておきなさい。そして、刈り入れの時が来た時に、私は刈り入れ人たちに言おう。まず、毒麦をむしり集めて束にして、火の中へ投じるようにと。そして、麦は集めて倉に納めるようにと」。 皆さんは、この譬えを聞いて、自分はまさか毒麦のほうだとは思わないことでしょう。そして、教会の中でも、世の中においても、あの人たちこそ毒麦で、自分たちが引き抜きたいと考えがちではないでしょうか。しかし、主イエスは、両方ともそのままにしておきなさいと答えられるのです。私たちも、敵すなわち悪魔から日々試みられる存在です。そして、終わりの日まで主は裁きを取っておかれるお方であります。だれが良い麦であり、毒麦であるかは、終わりの時まで主はお待ちになられておられます。すべての人のために祈りつつ、み国に共に与る者へと努めたい者であります。
 アーメン。
















 







                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

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