2017年5月10日水曜日

「迷わず生きるために」(ヨハネによる福音書第10章1節~16節)

ヨハネによる福音書第101-16節、201757日(復活後第3主日礼拝―白―)、使徒言行録第61-10節、ペトロの手紙一第219-25節、讃美唱23(詩編第231-6節)
   
説教「迷わず生きるために」(ヨハネによる福音書第101節~16節)

 私どもは、この復活節の4回目の主の日に、今日の「私はよい羊飼いである」という主イエスご自身がご自分こそが「良き羊飼い」であるとの主の残されたお言葉を聞かされています。
 昔から、この箇所が、主の復活後の第2あるいは、私どものように第3といった主の日に読まれ、「主の憐みの主日」の福音として大切にされてきました。この記事は、生まれつき盲人であった人の眼に主イエスが唾で泥をねり、お付けになって眼を見えるようにされたその第9章の出来事に続いて記されている主のお言葉であります。そして、昔から教会が大きな危機に面したときに、この箇所を通して、繰り返し説教がなされ、教会が教会であることを主イエスがご自分について語っておられるそのお言葉を通して、確認し、あるべき道をその都度、取り戻してきた大切な部分でもあります。
 主イエスは、まず羊と羊飼いについて、ここで語り始めておられます。羊は、羊の囲いの中で初めて安全に保たれるものである。羊飼いが羊たちを中へと導き、門番、見張りは羊飼いに、門、戸口を開き、羊は、羊飼いの声を聞き分け、従っていく。
 ところが、その羊の囲い、柵を乗り越えて、別のところから入る者がおり、それは盗人であり、強盗である。しかし、羊たちは、彼らにはついていかず、その声には従わないと主イエスは語られました。それは、だれに語られたのか。原文では、彼らにとしかないのですが、それは、第9章から続いていた、対立していたファリサイ派の人たちに対してでありました。
 彼らは、そのたとえが、何のことを、主イエスが語っておられるのか、まったく分からなかったともとの言葉では強い言葉で書かれています。ここでの「たとえ」というのは、ことわざ、格言とか謎めいた言葉、隋のある言葉といった意味です。ここでは、主イエスが、自分たちを、羊の囲いに塀を乗り越えて侵入してくる者だと、主がたとえられたのを、このユダヤ人たちは認めることは到底できなかった。というよりも、むしろそのようなことには思いも及ばなかったのであります。しかし、羊たちは、羊飼いの声を知り、見分けてついていく。そして、その一人が、すぐ前に詳しく記されている、主によって、眼に泥を塗って見えるようにされた、生まれつき眼が見えなかった人であります。
 そこで、主イエスは、再び、まことに、まことに、あなた方に言っておくが語り直されるのであります。
 私は、羊たちの門であると言われています。羊たちは、その門、あるいは戸口を出たり入ったりし、また、彼らは牧草を見出す。私は、門であって、それは、羊たちが命を持つため、しかも豊かに持つためであるという。そして、私より前に来た者は、いづれも、盗人であり、強盗であるとまで言われます。それは、この言葉を聞いているファリサイ派やユダヤ人の指導者たちを指して言っておられるのです。
 そして、主は、「私は良い羊飼いである」と言われます。私こそが良い、まことの羊飼いであるとここで断言されます。そして、偽物の羊飼い、所有者でない、雇い人に過ぎない者は、狼が来ると逃げ出すと言われます。そして、狼は、羊たちを引きずり回し、追い散らすのであります。
 しかし、主イエスは、ご自分こそ、待たれた、唯一のまことの羊飼いであって、羊のために、命をも捨てる、差し出すとここでお答えになっておられます。そして、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じように、羊たちは、私を知っており、私も羊たちを知っており、ご自分の命を羊のために捨てるのであると約束されています。羊たちは、自分の声を聞き分け、従ってくるのだと言われるのです。
 私たちは、この「私こそが良い羊飼いである」という主のみ声を聞き分けねばなりません。その他のどのような声にも聞き従うべきではありません。たとえそれが、自分に生来与えられている誠実さというような賜物であっても、それによって、主にのみ聞き従い、そのお声を知ってついていくことが妨げられるのであれば、それに信頼してはならないのです。
 私は、キリストなしでやっていける、そのような声に私どもは決して従っていくべきではなく、私たちに命を得させ、しかも豊かに得させるとの声に、「私こそが良い羊飼いである」と十字架の死とご復活を通して言われる方の声のみに、聖書の声のみに私たちは従ってくるようにと、主は招いておられるのです。
 今日のペリコペー、聖書日課である福音記事の終わりのヨハネによる福音書第10章の16節では、主は、私には、この囲いにはいない別の羊たちがおり、その羊たちをも、私は導かねばならない、父のご意志によって導くことになっている。そして、彼らは一つの群れとなり、一人の羊飼いのもとへと成るであろうと預言しておられます。確かに、私たち日本人も、主の約束された通り、主の羊の囲いの中へと招かれて今、この私どもの飯田教会の群れへと、一人ひとり招かれ、この後、主の聖餐にも与ります。

 しかし、宗教改革記念500年のいまだなお、一つの教会、一人の「良き羊飼い」である主イエスのみ声を聞き分け、ついていく同じ思いの一つの群れであるかは、問われ続けねばならないのであります。アーメン。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

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